「日本史は逆から学べ 近代史集中講義」、河合敦、光文社知恵の森文庫、2018年11月発行。
目次
なぜ日本はプラザ合意に同意したのか?
1980年代日本はアメリカに並ぶ経済大国になっていた。1973年に発生したオイルショックの不況からいち早く抜け出した。円安を背景に、鉄鋼、自動車、半導体の輸出が好調であった。一方で貿易赤字が続いたアメリカは日本の貿易をアンウェアであると批判、貿易摩擦を巡る外交問題に発展した。当時の日本の中曽根内閣は貿易黒字よりも外交を優先し1985年プラザ合意(G5の首脳が集まりアメリカの貿易赤字を解消するために、円高・ドル安にすること)に同意、日本は円高不況に陥った。円高・ドル安は進んでいったが、それでも貿易摩擦は解消されなかった。
1988年、牛肉・オレンジの輸入自由化を行なった。段階的に関税率が引き下げられ、低価格の輸入牛肉が出回ると消費は増加、国内産の牛肉価格も値下がりした。オレンジも、果汁の輸入量が増加し生産農家に深刻な影響を与えた。
プラザ合意があったものの、国民一人当たりの所得はアメリカを追い越した。また、貿易黒字が累積して世界最大の債権国となった。
なぜ日本はアメリカと無謀な戦争(太平洋戦争)をしてしまったのか。
戦争回避のための日米交渉が炸裂したからである。日本は日中戦争の泥沼化により、資源を求めて東南アジアに進出した。東南アジアを植民地化していたアメリカ、イギリスは強く反発し、日米関係が悪化した。アメリカの国務長官ハルは日米交渉の場でハル・ノートを提出、日本の大陸の権益を放棄し満州事変以前の状態に戻すことを求めた。しかし、日本は日米交渉を打ち切り、1941年にハワイのオアフ島にある真珠湾を奇襲攻撃し太平洋戦争が始まった。
なぜ日米交渉を行うほど日米関係は悪化してしまったのか?
日本が日独伊軍事同盟を結び東南アジアへ進出したためである。米英ソが中国を経済的に支援していたため、日中戦争は泥沼化した。突破口としてドイツと軍事同盟を結ぶ案が浮上したが、当時の安倍内閣は否定的で、むしろ日米の関係改善に取り組んだ。太平洋戦争が始まる2ヶ月前にアメリカが日米通商航海条約を破棄すると言ってきたからである。最大の資源輸入元はアメリカであったため、アメリカからの輸入が止まることは死活問題であった。しかし安倍内閣は議会の支持を受けることができずに5ヶ月で解散することになる。
ドイツがヨーロッパで次々と勝ち、残るはイギリスのみとなる。第二次近衛文麿内閣は、日独伊軍事同盟を結んで東南アジアへ進出し日本をリーダーとする大東亜共栄圏を創設する計画を立てた。大東亜共栄圏は建前であり本音は、日中戦争のための資源(石油、ゴム、ボーキサイト)を確保するためであった。
なぜ日中戦争は泥沼化したのか?
1937年に偶発的に起きた軍事衝突(虚構橋事件)により日中戦争は起きた。ドイツのトラウトマンが仲介役をして和平の動きもあったが、第1次近衛文麿が国民党と外交を絶ったことで日中戦争は泥沼化する。近衛は蒋介石の国民党を抹殺すると発言し火に油を注いだ。
なぜ日中戦争は起きたのか。
蒋介石が日本と徹底抗戦することを宣言し、日中全面戦争へと拡大していったから。
なぜ蒋介石は日本と徹底的に戦うと宣言したのか。
西安事件で張学良が蒋介石を拉致し、国民党が共産党との内戦を停止して共に日本と戦うように説得したから。
なぜ張学良は内戦を停止し日本と戦うように説得したのか。
日本が満州国だけでは足りず、華北に進出しようとしたから(華北分離工作)。
なぜ日本は華北に進出しようとしたのか?
国際連合が満州国を認めなかったため、日本は国際連合から脱退した。これにより制約が無くなったから。
なぜ日本は国際連合から脱退できたのか?
国民の圧倒的多数が関東軍による満州事変(鉄道の爆破を中国軍のせいにして関東軍が攻撃を始めた)や軍部を支持したから。
なぜ国民が軍部を支持したのか?
度重なる汚職や経済を良くできない政党政治に不満があったから。関東大震災による金融恐慌や世界恐慌が原因で起きた昭和恐慌によって、当時の日本の経済は低迷していた。国民は満州国が手に入れば、日本の経済は好転すると期待し関東軍の軍事行動を支持した。