江戸城を歩く

江戸城を歩く、黒田涼、祥伝社、2009年6月第一版発行。

付箋数:11

満足度:★★★★

高麗門と枡形

徳川家が支配していた江戸時代。

徳川家が住んでいた江戸城がどこにあったのか、私は知らなかった。

現在の皇居が江戸城の中心地であった。

皇居を中心に円形の敵を防ぐための内堀と外堀があった。

内堀から中に入るには門を潜る必要があり、桜田門、半蔵門、虎ノ門、坂下門など

数多くの門が設けられていたのだ。

桜田門外の変では明治維新の時に大老井伊直弼が水戸藩浪士に殺害された。

その2年後の坂下門外の変では安藤信正が襲われた。

高麗門(コウライモン)をくぐると枡形(マスガタ)と呼ばれる四角い空間がある。

門を突破されたとしてもすぐに城内に入れないようにするためだ。

枡形内には櫓(ヤグラ)がありそこから鉄砲や弓矢を撃って敵を仕留める。

右利きの敵が身を隠して攻撃できないように基本的には櫓は門から見て右手に

位置するのだとか。

城内に敵を入れないようにするために、よく考えられた構造になっている。

真田堀

外堀で興味深いのは、現在の四谷の上智大学グラウンドにあった真田堀だ。

真田家と言えば真田昌幸が有名であるが、その昌幸の長男信之が作ったとされる

真田堀である。

徳川家康と石田三成が東軍と西軍に別れて戦った関ヶ原の戦い。

真田家は昌幸と幸村が西軍に、信之は東軍についた。

犬伏の別れである。

弟に比べると目立たない兄だが、徳川側を援護した事で江戸時代に堀を作ることを許されたのだ。

御茶ノ水の由来

水道橋から西へ向かうと御茶ノ水がある。

御茶ノ水には、湧き出る泉の水があります。

徳川家二代将軍秀忠がこの水を飲んでお茶に適していることから

御茶ノ水と名付けられたそうです。

徳川秀忠といえば、関ヶ原の戦いに向かう途中、上田城で真田昌幸に足止めされて

遅参したのが有名です。