「まんがでわかるサピエンス全史の読み方」読んでみました。
この本のテーマであるフィクション(虚構)とは架空のものという意味です。
私たちホモサピエンスが他の人類よりも発展したのはフィクションを信じる力、つまり想像力があったからだと言います。
フィクションとは何のことを言っているのでしょうか。
例えば「善行をすれば天国に行ける」というフィクションに従えば人は良いことをするようになります。
日本では戦前まで天皇万歳と天皇を崇めて行動していたのに、途中から法律に基づいて行動するようになりました。
このようにその時代で人の行動の基礎になっている考え方がフィクションです。
貨幣、宗教、帝国、会社、資本主義、国家、法律など、この世はフィクションに溢れています。
人は幸せを追い求めるためにフィクションを作り出し、発展してきました。
例えば資本主義や消費主義では、「モノを買って消費することが善」とされています。
しかし、高級車や洋服ブランドへの憧れは、単なるフィクションに過ぎません。
漫画の主人公水原が大学の友達と飲み会をして、彼女以外の友達3人が高級時計の話題で盛り上がるシーンがあります。
同じ部品で作られているのに作者のステータスによってブランド化されている時計はフィクション、そしてそれを消費することで作られるコミュニティは想像でしかありません。
資本主義と言う名のフィクションは、架空で想像上の概念なのです。
しかし、資本主義のもとでは、高級ブランドを求めるのに必死になり考え方が支配されている人達が多くいるのも事実です。
今から1万年以上前、狩猟採集民は動物や植物を採集していました。
異なる場所を移動し食料を追い求めて歩き回っていた彼らの脳は、現代人より大きく知識が多かったそうです。
現代人オフィスで座ったまま仕事をこなしていますが、狩猟採集民は動物を狩猟するためにありとあらゆる知恵を身につけなければならなかったのです。
狩猟採集社会(しゅりょうさいしゅうしゃかい)とは、主に人類学上の言葉で、野生の動植物の狩猟や採集を生活の基盤とする社会のことである。農耕が開始された新石器時代まで全ての人類は狩猟採集社会だったと考えられている。(wikipedia)
DNAは狩猟採集民のまま労働環境が大きく変わったことが、現代人の抱えるストレスやプレッシャーであると言われています。
今から1万年前、狩猟採集社会が終わると、人は小麦や野菜を育て羊などの家畜を飼うようになります。
これを農業革命と呼び、安定的な食料が確保できるようになります。
しかし、農業のための労働が労働時間を増やし、食料が1部の上層民に集まるようになり貧富の差が拡大します。
農耕民への移行でホモ・サピエンスは不幸になったと言われています。
このように狩猟や農業を通じて人は進化してきたわけですが、そのために必要だったのがフィクションです。
現代では資本主義という名のフィクションが溢れています(水原の大学の友人がそうであったように)が、水原自身が幸せになるためのフィクションはあるのでしょうか。
ボルダリングを通じてニートの彼女は自分が何を欲しがっていたのか気づきました。
人が成長、進化するための原動力にフィクションが必要なのです。