日本史のミカタ、読んでみた

日本史のミカタ、河合敦、辰巳出版、2018年10月発行。

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概要

  • 1部の有力な藩出身者しか政治に参加できない藩閥政治に不満が起こり、国民も政治に参加するように求めたのが自由民権運動(1890年)。帝国議会が開かれ選挙によって選ばれた国民が政治に参加できるようになった。征韓論で敗退した板垣退助らが勝利した岩倉具視らに向かって運動を起こしたと言われている。
  • 江戸幕府では幕藩体制が敷かれ戦国大名から発展した大名が一国一城の主として領地を支配する仕組みであった。幕府の直轄地(天領)は全体の1/4に過ぎず、3/4は大名が管理していた。1/4の直接支配、3/4の間接支配が幕藩体制の中身である。
  • 明治維新によって廃藩置県が行われ、各藩の殿様は知藩事の役職を解かれ東京で暮らすようになった。日本全国で統一された税制が敷かれ中央集権国家が出来上がった。
  • 大化の改新後、公地公民制を実施し全ての土地と人民を手に入れた朝廷。田を人民に貸して一定の税を納め、死んだら戻させる班田収授を定めた。
  • 743年墾田永年私財法が制定され、土地は永年人民のものになった。有力者は土地を開発して私有地を増やし荘園とした。開発領主は土地を奪われないように自ら武装したり武装した人を雇うようになる。武士の登場である。
  • 鎌倉時代になり源頼朝は朝廷から守護・地頭を置く権利が与えられる。地頭は荘園や公領の徴税や管理、守護は警察の役割を果たした。守護・地頭になった御家人はそれぞれの土地から収入を得て、幕府も自分の持っている土地から収入を得ていたため、幕府と御家人の間で金銭のやり取りは無かった。
  • 江戸時代も幕府の直轄地から税を集めていたが、鉱山からの収入や長崎貿易の収入もあった。鉱山や長崎貿易の収入が減って財政が悪化した8代将軍徳川吉宗は、貨幣の改悪をして財政難を乗り切った。享保の改革が成功したのは貨幣の改悪によるところが大きい。
  • 江戸時代、田沼意次も幕府の収入増に貢献した。農民から税を取るだけでなく、株仲間と呼ばれる同業組合を作り商人や豪商に営業税を課した。

感想

歴史で話題になっているのはどの時代も「土地」である。

飛鳥時代には、田を貸して米を納めさせる班田収授が制定された。

奈良時代には、土地を貸して米を年貢として納めさせる班田収授によって土地は荘園と呼ばれるようになり武士が荘園を守るようになった。

鎌倉時代には土地を管理するための地頭が職種として置かれ御家人が担当した。

戦国時代に豊富秀吉は土地を調査して収穫量を計算する太閤検地を取り入れた。

土地の生産性は石高(こくだか)で表現され、農民の年貢も石高で計算される。手柄をとった大名は石が追加される。

米を作るための土地がいかに重要視されていたのかが分かる。

しかし、現代でも土地を巡る問題は多い。

1990年前半、日本では住宅地価格のバブルが崩壊し価格は一気に下がった。拓殖銀行や山一證券が潰れたのはバブルが原因だろう。

2008年、サブプライムローン問題では住宅地のバブル崩壊が原因で低所得者向けのローンが焦げ付き、証券会社リーマン・ブラザーズが破綻しリーマンショックが起きた。

日本国内の経済が不況になり株価は一気に下がった。

現代でも住宅ローンが原因で破綻してしまう人は沢山いる。

昔も今も「土地」を巡る問題は絶えず続いているのだ。

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